ヨン・サンホ監督が語るKON SATOSHI

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今敏というアニメーション監督をご存じでしょうか?
ちょうど今、京都では今敏監督 没後10年イベントとして市内最南端にある京都みなみ会館、最北端にある出町座というミニシアターで代表作が上映中です。

【今 敏監督没後10年】今 敏レトロスペクティブ | 京都みなみ会館

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今敏監督とはー
日本の漫画家、アニメーター、アニメーション監督。
今敏とは (コンサトシとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


普段、韓国映画について(非常に偏った記事を)書いているこのブログでなぜ、日本のアニメーション監督の記事を書くのか―

タイムリーに [私を育てた8割は] というweb連載記事の中でヨン・サンホ監督のインタビューを発見したからです。

私の好きなヨン・サンホ監督も今敏監督が大好きなんです。


www.hankookilbo.com


今敏を知らないあなたは幸運児

誰にでも人生を変える瞬間があります。
有名文化界の人物も例外ではありません。
彼らの人生に「鋭い初キスの追憶」を残した作品またはアーティストを紹介します。




1998年くらいだからもう19年前の話だ。当時、私は休暇を取った二等兵だった。
軍服を脱ぐやいなや“闇のパス”に接続した。(闇のパス・・・어둠의 경로を検索してみてください)
たちまち、VHSテープ1本が手に入った。出たばかりの日本アニメーション『パーフェクトブルー』だった。

「ふっ、オタクにとってこれくらいはわけもないよ」


アニメーション『AKIRA(1988)』の大友克洋監督が作ったオムニバス『MEMORIES(1995)』を観た時、それよりももっと前に記憶していた名前がひとつあった。
最初のエピソード『彼女の想いで(Magnetic Rose / 그녀의 추억)』の脚本家・今敏だった。『パーフェクトブルー』は今監督のはじめての長編アニメーション演出作だ。
期待が大きかった。
しかし“ドクトン事故”まで起こるとは思わなかった。(ドクトン事故・・・덕통사고 / 交通事故のように突然起こり、それによりある分野のマニアになってしまうという意)



ひと目でどっぷりハマった。ひと言で言って“衝撃”だった。
アイドルスターから女優に転身したマミの自我分裂と存在性の混乱を描いた心理スリラー物でシナリオと演出すべてケチをつけるところがなくしっかりしていた。
それでいて一方では切なさが怒涛のように押し寄せてきた。

「天才性をデビュー作にすべて注ぎ込んだから次の作品は出すのが大変だろうなぁ」

本当にそう思った。
しかし、なんと。時期作が出た。予想よりも本当に早く。
それだけでなく最初の作品のように優れていて、また、新しかった。
『千年女優(2001 / 천년여우)』という作品で大女優の秘められた初恋の話を額縁式に盛り込んでいる。
今監督特融の緻密な構成に浪漫的な感性まで盛り込まれていてすごく驚いた。
その日、私は彼の熱狂的ファン(광=狂 / 팬=ファン)になった。



2003年、全州国際映画祭で観た『東京ゴッドファーザーズ(크리스마스에 기적을 만날 확률)』は『パーフェクトブルー』とともに今も私の人生最高の名作中のひとつだ。
今監督の唯一のTVアニメーションシリーズで13話ある『妄想代理人(2004 / 망상대리인)』も当然見漁った。
『パプリカ(2006 / 파프리카)』は前作に比べ若干失望感を抱いたが今監督の天賦の才を満喫するには不足なかった。


だいたい、アニメーションと言えばストーリーテリングより絵を強調するものだけれど今監督はそのどちらも優れていた。
嫉妬する程に。
彼のシナリオは現実世界に密着し作画も実写的だった。
だからアニメーションより実写がより似合うという評価を受けた。


『釜山行(2016 / 부산행)』を作る前、『豚の王(2011 / 돼지의 왕)』と『我は神なり(2013 / 사이비)』をだした時、わたしも似た質問を多く受けた。
その時ごと、私は今監督の返答を借りてきた。
「アニメーションはどんなこともできるジャンルなのに何故ファンタジーだけを作るのか理解がいかない」


1997年から短編アニメーション作業を始めたが“ヨン・サンホ”だけの個性が表れ始めたのは、今監督の作品に会って以降の2003年作『地獄 ふたつの生(지옥: 두 개의 삶)』だ。
『豚の王』も『パーフェクトブルー』を観た後、軍隊で初めて構想した作品だ。
アニメーション監督を夢見る私の周辺の人たちはウォルト・ディズニーみたい作品や子ども向け作品を作れと言った。
世界観が暗すぎるとも言った。



今監督がいなかったらたぶん心を揺さぶられただろう。
自分の方向性が合っているのか絶えず疑っただろうし。
ひょっとしたらアニメーション会社に就職し平凡な会社員として生きていたかもしれない。
しかし、私が羨望する監督が私より先に歩んだ道があるから心強かった。
特にしっかりとした叙事を追求した点で同質感を感じた。


今監督が影響を及ぼしたのは私だけではない。
Darren Aronofsky監督は『ブラックスワン(2010)』で『パーフェクトブルー』を堂々とオマージュした。
『レクイエム(2000)』でも痕跡をいろいろ見つけることができる。
夢が現実に介入する作法を初めて披露した『パプリカ』は『インセプション(2010)』の原型のような作品だ。



今監督は大衆的ではなかった。
日本より海外でより有名だった。
私が今監督のファンだというと日本の人々は、むしろ興味を持ってくれた。
「いつか長編を作れるようになったら今監督に絶対会う」
短編作業をしていた時期の夢だった。



『愛はタンパク質(2008 / 사랑은 단백질)』という短編を作っていた時、アニメーションを研究する日本人の教授が取材をしに来た。
その教授が言った。
「あなたと似た日本人の監督がいるんだけど、今敏と言って私の友達なんだ」と。
目を見開いた。
私は、彼の熱狂的ファンだとカミングアウトした。
その教授は近いうちに会えるように取り持とうと約束してくれた。
胸がばくばく脈打った。
こういうのが「成功したオタク」じゃないか。
彼と友達になる日を待ちながら自分の仕事に精進した。(ドクオプ一致 / 덕업일치・・・趣味・自分の関心を持つことと職業が一致していること)



しかし、無理やり成せないのが人の縁だ。
2010年はじめ、長編『豚の王』の作業の真っ最中に悲報が舞い込んだ。
「今監督がすい臓がんで亡くなった」と。
彼はわずか47歳だった。(韓国での数え年)
天が崩れ落ちてくるような気分だった。
軍隊でニュースに触れたスタンリー・キューブリック監督の死後、これ以上の衝撃はなかった。


2年後、『豚の王』がカナダ・モントリオール国際映画祭で賞を受けた。
賞の名前は『今敏アワード』だった。
もう少しだけ生きていてくれれば……。


彼が亡くなった後、私は少し物寂しくなった。
こんなアニメーションを作る人がもう自分の他にはいないんだなあと。違う。今は私も作れていないから。


会社(スタジオダダショー)の事務室で今監督の作品とコンテ帳、画報、ポスターなどを集めておいた。
今も時々ファン心で取り出してみる。その時ごとに癒される。


最近『サイコキネシス 念力(염력)』撮影準備の真っ最中だ。
ブラックコメディージャンルで『東京ゴットファーザー』のトーンをこっそり参考にした。いつか『彼女の想いで』みたいな作品も作ってみたい。


私はまだ今監督を良く知らない観客たちが羨ましい。
前から彼の作品を観ればいいのだから。
私はもう観過ぎた。
もっと観たいのに観ることができない。
心の隅っこが寂しい。
今監督を知っていくあなたたち、本当に幸運児だ。






ヨン・サンホ監督ファンも、今敏監督ファンもこのタイミングに、KON作品を観ていただけたら嬉しいです。
私は来月、『妄想代理人』を観に行くつもりをしていましたが席の予約開始数時間後に満席になってしまってましたㅠㅜ ナンテコッタ......
代理人は、心の闇が“感染”していく感じが特に好きでした。









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