【感想】韓国映画ファンが中央駅を読んで

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2020年も早3か月が経とうとしています。
私個人的には、早くも夏までのカウントダウンが始まっています。

というのも、今年の夏はヨン・サンホ監督の新作映画『반도(半島)』が公開になるからです!
『부산행(新 感染)』の4年後の世界を描いた映画です!


『부산행』で韓国映画やKカルチャーにハマった私としては、こんなに韓国熱が続くなんて自分でもちょっと意外でもあり、また、感慨深くもあります。
今年の夏公開なのはあくまで韓国で、であって日本公開はいつになるやらわかりませんが、去年は『EXIT』が半年足らずで公開されましたし、日本でもヒットした作品の続編ということでいつもよりは早く公開されるかもしれません。
コロナ19の影響で発生したあれやこれやの問題が解決してくれれば、とにかく夏にいちど渡韓して現地の映画館で観るつもりです。
(日本語字幕が無くてもパッションで楽しむ!!)


さて、そんな最近の私は、たまたま『中央駅』というK文学を知りました。
韓国では2013年に発刊、日本では2019年に発刊されたキム・ヘジンの長編小説です。
K文学に馴染みのない私の目を引いたのは「ホームレスの物語」ということと、「中央駅のモデルはソウル駅」ということでした。

中央駅

中央駅

  • 作者:キム・ヘジン
  • 発売日: 2019/11/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



『부산행』の前日譚であるアニメーション映画『서울역(ソウル・ステーション)』について、このブログでも少しだけ紹介したことがありました。
パンデミックはどこから発生したのか―

ソウル駅を居住の場としているホームレスからでした。


mongolia.hatenablog.com



じゃあ、このホームレスたちは一体どんな世界で、どんな想いで、どんな暮らしをしているんだろう。
そんな好奇心から、この本を手に取ることにしました。


これがどん底だと思ってるでしょ。
違うよ。底なんてない。
底まで来たと思った瞬間、
さらに下へと転げ落ちるの――(本文より)


路上生活者となった若い男、同じく路上で暮らしながら、毎晩、際限なく酒をあおる病気持ちの女。
ホームレスがたむろする中央駅を舞台に、二人の運命は交錯する。


現在形の直線的な文章で断崖絶壁に追い詰めては平地に連れ戻す、この文体の力は、永きにわたり韓国文学の財産になるであろう。
──「第5回中央長編文学賞受賞作」審査評


愛の本質を探究しつつも、限界に達した資本主義の影と社会の問題を見逃さない若い作家の洞察……
作品に深みを与えるまっすぐで流麗な文章
──中央日報 書評


(彩流社公式サイトより)

読んでいる最中も、読み終えた後も、主人公の「男」がどうして中央駅に来ることになったのか?
「女」との日々に愛を感じていたのか?
そしてこれからどう生きていくのか?

すっきりと理解することはできませんでした。
ページをめくるごとに私の心の中に澱み重なっていく、言葉にできないモノ。
それこそが、この小説の正体のようでした。


格差社会問題を浮き彫りにする普遍的な物語と評するのもわかりますし、極限生活の中に残る人間としての矜持はやはり他者への愛なのだと感じとるのも、もちろんわかります。


でも、私が感じたのはぼんやりとした共感、だったようです。


社会的には恵まれているわけではないけれど、極限状態にいるわけでもない、ぬるま湯の中に使っているような今の自分の生活は、いつどこで転落するかわかりません。
私が住んでいる国は、少しずつ、確実に妙な方向に動き始めているし、世界的に見てもこれまでのような経済的な成長は見込めない国と評価されていることでしょう。
この先、数十年の間に国全体の生活水準が激変する可能性もゼロではありません。
そうなった時に、きっと私は、何不自由なく生活できる富者のグループには入れないだろうなと想像をしています。


折しも、今は外出やイベントの自粛、一部の商品の買い占めにより漂う他社への不信感・・・なんとなく暗い雰囲気が漂う世界となりつつあります。
ここまで書いてきて、すごく、主観的になってしまっていると思います。
でも、個人でぼんやり感じているこのもんやりとした感覚が、この小説の中では常に漂っていたんです。


さまざまなチャンスも、そこではただ流されていくもの―手に入れることすら戸惑うものでした。
駅に、広場に集う人々は、未来を想像することを諦めているから。
(うん、私も10年後のことを考えるのも難しい、というか半ば思考放棄している)
未来を思い描いてしまうと、その実態を見た時に失望してしまうかもしれない。
そこまで気持ちを保てていた自分をもみすぼらしく考えてしまうかもしれないもの。
だから、諦めを装いつつ常に葛藤してイラついているんだ。


そんな感じで、『中央駅』はかなり普遍的な物語だなと感じました。
ソウル駅ではなく、中央駅。
と、どこの国にもるような名称にしたのはそういう想いもあってだろうな、と。


広場の真ん中で女の手を取り、女を抱きしめ、女とキスをする再会のシーンを数えきれないほど想像してきた俺は、それがいかに馬鹿げたしょうもないものだったかを悟る。 誰もが俺たちをあざ笑うだろう。 真っ昼間の笑い種になるのだ。 俺は離れたところから女の姿をただ見ている。 要するに、女は俺が想像していたよりはるかにみすぼらしい、無様な格好で戻ってきた。
日差しの降り注ぐ真っ昼間に。 華やかな噴水が湧き出る広場に。 誰かが置き忘れていったカバンのように、女はそこにいる。 俺は女に駆け寄ることも、大声で呼ぶこともせずに、他人のように遠くから女を見ている。 これは俺が全く想定していなかったシーンだ。 あの人が、本当に俺がずっと会いたいと思っていた人なのか。


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話を『서울역(ソウル・ステーション)』に戻します。
行き場を失くしてしまった人々が集う場所。
普通の人たちからしたら(という言い方もあまり良くないのかもしれないけれど)、見ないようにしている場所から“恐怖”は生まれる。


そんなことを象徴する場としての中央駅。
パンデミックが発生した場所はまさしくここだったんだろうなぁ、と納得もした読書体験でした。



これ以上の失意や絶望は無いと思っていたのに、そこからさらに何かが起こる―
わからないモノに対峙した時、人は何を支えに生きるのか?

『中央駅』ではそれは“愛”と表現されていました。
『서울역』では“家”と。
『부산행』では“家族”。


極限の中、自分自身を保ち希望を見出すためには“他者”との繋がり、もしくは繋がりをかんじさせてくれる何かが必要なのでしょう。
『반도』ではどんな世界が描かれるのか、とても興味深く、公開される日が待ち遠しいです。





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