映画『玆山魚譜』の予習として金薫・著『黒山』を読んでみました【クオンの本 新しい韓国の文学シリーズ】

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このブログでも“ソル・ギョングさんの関連記事”としていくつか、映画『玆山魚譜』の記事訳などを自分のための自由研究のような感覚でアップしてきました。

先日の第57回百想芸術大賞映画部門で大賞を受賞したことで、日本公開に弾みがつけば…と期待が高まります。



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日本公開についての情報は今のところないので、待っている間にイ・ジュニク監督がおすすめしていた小説『黒山』を読んでみようと思い立ちました。

この小説は“原作”ということではありませんが、少し前に映画について検索していた折に見つけました。


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(写真引用:영화 〈자산어보〉 이준익 감독이 추천하는 책 BEST 5 : 네이버 포스트

映画監督にとって本はシナリオである。
その中でも文学は映画の母体である。




映画ではW主人公という感じの位置づけのチョン・ヤクジョン、チャンデのほかにも、多くの人々の生活や思いが描かれているとのことですが、小説でもさまざまな境遇の人々が描かれています。

いたって淡々と進むにもかかわらず、文章から伝わってくる“力”は渦となって迫ってきて深い余韻が残る物語でした。



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歴史小説は歴史上に実在した人物を用い、ほぼ史実に即したストーリーであるとされます。
またはその時代を設定して、その中での空想上の物語が書かれたものが展開される小説のこと。



机に向かった作家が、部屋入口の方を見るたびに目につく場所には、司馬遼太郎の書が掛かっていた。「ふりむけば また咲いている 花三千仏三千」。学生時代から日本文学を数えきれないほど読んだという作家に、私は深く頭を下げて仕事部屋を後にした。
引用:訳者あとがき


私が読みながら感じたことは間違ってはなかったんですねぇ。
そして、その感じを違和感なくすんなりと読者に伝えてくれる訳。
翻訳本を読んでいるという感覚がなかったのも驚きでした。








物語は登場人物のひとり、チョン・ヤクジョンが黒山島へ島流しにされるところから始まります。
なぜ、島流しという刑を科されたのか。


1800年、これまで儒教や朱子学を基盤に政治が行われていた中でも西洋の学術・科学の受容に寛容だった正祖(=イ・サン)が世を去り、政治の実権は一部の氏族が握るようになります。

西洋の学問と一緒に朝鮮に伝わってきた天主教(カトリック)は「人はみな平等なのである」という思想が根本にあったため、民衆たちにも支持を得はじめていました。
チョン・ヤクジョン兄弟も西洋の学問を学ぶ中で天主教に出会い、その教えに触れていきます。

しかし、天主教を危険な思想と考えた特権階級の人たちは、大体的な弾圧を加えます。
王妃が主導して、1801年に起きたのが辛酉教難(しんゆうきょうなん)であり、単に宗教弾圧には留まらず政敵排除の意味も持っていたとのことで、その中でチョン・ヤクジョン兄弟も罪を被ることになりました。


主よ、われらが鞭打たれて死なないようにしてください。主よ、われらが飢え死にしないようにしてください。主よ、おびえるわれらを主の国にお呼びにならずに、われらの村に主の国を建ててください。主よ、主を裏切る者をすべてお呼びになって、あなたの胸に抱いてください。主よ、罪を問わずにいらっしゃり、ただ許してください。主よ、われらを憐れに思ってください。
引用:本文310p


この経文が、国政が厳しくなり飢えた百姓たちの心を動かさないことがあるでしょうか。
しかし、王妃は邪学の妖説が王を凌蔑し世を乱すとただ泣き暮れるばかりか、惑わされる民の命を絶って征伐するしかないとヒステリックな命令を飛ばすようになるのでした。



このような背景のもと、島に辿り着いたチョン・ヤクジョンですが、葛藤はあったもののやがて黒山以外に生きていく場所はないという思いに至り、やがて、島の青年チャンデと共に『玆山魚譜』の執筆を始めます。



作中では、チョン・ヤクジョンよりもその甥・ファン・サヨン(黄嗣永)の方が分量多めでした。
16歳で科挙に及第し王に手を握られた秀才。
まっすぐな心根がそのまま明るい光を放ち、王に「美しい。私がお前の王ではなく、お前の父だったらよかったのに」と思わせた青年。
歴史好きの間では有名な方だそうですが、まっすぐ故に北京の教会に「布教自由のために西洋諸国が朝鮮に軍艦を派遣し、政府に武力的威嚇を加えて欲しい」と訴えた黄嗣永帛書を書いた人。(過激!)
まっすぐ故に受難してしまった……そんな印象を受けました。


マノリ(馬路利)という馬夫やユクソンイ(六本指)という奴隷身分の人たちは、ファン・サヨンに関わりがあったことで哀れな最期を遂げます。
関わらずとも最後は同じだったかもしれません。
特にマノリは「そんな事したら狙われるに決まってるだろ!」という小さいながらも決定的な物証を他意なく他人に渡してしまって、読んでいるこちらがムググ~~~と唸ってしまい……。
大きな歴史の渦はそうやって罪のない人間を容赦なくさらっていくのだと悲しい気持ちになりました。



一方で、朴チャドルのような人物も登場します。


私は、朴チャドルのような人物が好きだ。彼は背教者だが、自分なりの真実を持っており、その真実を暮らしの中に築こうとした。天の国ではなく、地の上の暮らしの中に自分なりの真実を建てようとし、そして失敗した
引用:訳者あとがき



ただ生きるために信仰し、信仰を捨て、苦しい世の中で右往左往するのも、また人間の歩んだ道だ、と。





私は、黒山島と陸地を行き来する船頭・ムンブンセ(文風世)という人も印象に残っていて、その理由は下記の通りなんですが。

エイの漁をしていたら漂流して琉球王国に辿り着き、しばらく過ごした後、中国行きの交易船に乗せてもらったら、またも遭難。フィリピンに到着。
現地の言葉を学びつつ、しばらく暮らした後、マカオから大陸に渡りやっと帰国できた。
ーというムン・スンドクさんと名前が似ていたので、てっきりその人と勘違いして読み進めていたのでした。
チョン・ヤクジョンがムン・スンドクさんの体験を『漂海始末』という本にまとめています。


チョン・ヤクジョンほかメインの人物以外はすべて作家が作り出した虚構の人物であり、多くの実在人物の要素を引き出し掛け合わせていると、目次あとの「おぼえ」に記載されているので、もしかしたらムンブンセのモデルの内のひとりだったかもしれません。




なかなかの厚さがある本でしたが、終盤にはページをめくるのが惜しく感じられるくらい(というか、みんなの“終わり”を見たくない…という気持ちもあり)没頭していました。


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私は言葉や文字で正義を争うという目標を持ってはいない。私はただ、人間の苦痛と悲しみと希望について語りたい。私は、ほんの、少しだけしか語ることができないだろう。だから私は、言葉や文字で説明することのできない、その遠くて確実な世界に向けて、血を流し歩んで行った人々を恐れ、また苦しんだ。私はここで生きている。
引用:著者あとがき


私の好きな映画の中で、詩人が似たようなことを言っていました。
「詩人とはどんな人か」と聞かれて「詩人は、悲しみを抱えた人々のために代わりに泣いてあげる人だ」と答えていました。

創作されるものが詩であれ、小説であれ、映画であれ、そういう面があると思います。
そして本書『黒山』は、深く、大きな悲しみが大河の流れのように続く物語ではありますが、川が海に流れ込んでいくように、悲しみの先に希望のようなものが見えて終わっていきます。




試し読みはチェッコリさんのサイトからできます。
映画の前でも、後でも。
興味を持たれた方は、ぜひ読んでみてください。
hanmoto4.tameshiyo.me

販売ページ
http://shop.chekccori.tokyo/products/detail/1523





いま見直すと「ここはちょっとニュアンスが違うかも?」という部分も若干あるのですが元動画を削除してしまったのでそのまま載せます💦
大体こんな雰囲気の映画と感じていただければ。。。





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