草原の記憶

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当エッセイは、私が「モンゴル武者修行ツアー」というツアー旅行に参加した後、個人的に発行した同人誌に収録したものを加筆修正したものです。



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彼の視線に気がついたのはキャンプに着いて三日目、雨の馬上でであった。


当初のスケジュール外の乗馬時間だったので、いつもと異なる隊列で歩を進めていた。
こちらが視線を返すと、また視線が返ってくる。
一体、何なのだ? と思っていたら、一頭馬を挟んで向こう側の彼の方から年齢を聞かれた。 と言っても、モンゴル語で聞かれたわけでその質問の意味すらわからない私はバディとしてついていてくれた通訳さんにはてな顔を送る。


「何歳ですか? と言っていマス」という訳を聞いた途端、「そういうことなの?」と先ほどからの彼の視線の意味を理解した。


それなりの年齢の男の子が女性に年齢を聞いてくる・・・少なからず好意を持ってくれていることかしら。 
となると、いきなり自分の年齢が答えづらくなるが嘘をついても仕方ない。 
そもそも答えづらいと感じてしまうところで変に自意識過剰になっている。 
喪女も三十路を過ぎるとやっかいなことこの上ない。


そんなことはさておき、通訳さんに教えてもらって「ゴチンドゥルウ(34)と苦笑ながらに伝えると、彼の方は二十歳だという。
モンゴル人も童顔だ。
私の方は彼を10代だと思っていた。
そういえば、彼はキャンプに来ているモンゴル人の中ではいちばん煙草を吸っている。 
ちなみに、モンゴルでも法的には喫煙は二十歳かららしいい。



彼の名前は教えてもらったのだけれど、発音が難しく覚えられなかったのでこのまま“彼”と呼ぶ。



翌朝、食堂のドアの前で彼と出くわす。
こっちはいい年だというのに昨日のことを思い出し、ほんの少しだけ意識してしまう。
「サイエンバイノウ」と挨拶をしたら、少しうつむき加減に「サイエンバイノウ」と返してくれたがそのまま通り過ぎていってしまった。
ぎこちない感じがなんだか懐かしい感覚だった。 この日はこれ以外にお互い視線や言葉を交わすことはなかった。



キャンプで宿泊をする最後の日。

モンゴル人メンバーが夕食後にカラオケ大会やダンスパーティーを企画してくれていたため、私ももれなく参加した。 
ダンスパーティーに至っては真夜中になって尚、盛り上がりを見せていた。
途中からフロアに入ってきたメンバーの中に彼を見つけた。


フロア中央で踊るのは、都会での遊びにも慣れているような年長組が多い。
少し若い子たちはフロアの隅っこに固まってしまう。 
彼もこちら側の一団に入っていた。
いちばん若い子たちをフロアに連れ出したら、慣れていないのと気恥ずかしさとで、うっかり地引網にさらわれてしまった小魚のようにぴょこぴょこ小さく跳ねていた。 


そのピュアな反応はまだ身の色も半透明な稚魚そのものという感じで、そのままつるりと飲み込めば喉元を暴れながら下りていき、私はきっとそのむず痒い感覚を小さく声を上げて楽しむはずだ、などという妄想が一瞬にして脳内を席巻した。
自分でもちょっとアブないなと感じたので、ほとぼりを冷ますべく件の彼をフロアに誘ってみれば、明らかにこういう雰囲気は苦手なのにがんばって周りについていこうと身体を揺らしている健気さに、またもや愛おしさが溢れてくるという悪循環。


その後、しばらく年長組メンバーに誘われて踊る時間もあったのだが、その隙間隙間で彼が「そっちへ行くな」という感じでさりげなく手を引いてくる。
少し疲れたなと思い、隅っこの椅子に腰掛けていたらすっと隣の席に滑り込んできて今度は自分から「真ん中に行こう?」と言ってくる。
向こうは私が言葉がわからないのを知っているから、目で、言ってくるのである。
私を覗きこんだ目が、フロアの方向に行って、また私に戻ってくる。
首を傾げながら。
それだけでも十分に伝わってくる。
私は彼の視線に酔い始めていた。



パーティーもお開きの時間。
「二人で外に出よう」と呼びかけてくる彼の視線に何度も捕まりそうになりながらも通訳さんに送ってもらい、自分のゲルへ戻った。
今からでも星空を見に行こうか知ら。 夏でもかなり冷え込むモンゴルの屋外で寝転がって星を見るため持ってきた寝袋と保温シートはスーツケースの1/3を占める大荷物だったので使わないのはあまりにも残念。 と考えながら着替えを終えた瞬間、ゲルのドアが一瞬、バタンと開いて閉じた。


風なんか吹いていない。
閉まる瞬間に人影が見えた。


(もしかして)



ドアを開く。
その向こうに立っていたのは、想像通り彼だった。



私の顔を見るなり、上を指さす。
「わぁ・・・」
思わず声が漏れるほどの星の多さ、改めて今夜の星空はもっとゆっくり見ておきたいと思った。
「しっ!」


声を出さないで、ゲルの中で寝ている他の人たちが起きてしまうでしょう? と注意をしてからすぐに私の右手を掴んだ彼は、そのまま暗がりに向かってどんどんと歩いていく。
私をまるっと包み込んで引っ張っていく彼の手は大きかった。 
手の平も皮が厚くごわごわしていて、ダンスフロアでのふわふわとした印象はなく、自然の中という自分の居場所に戻ってきたという安心感と自信に溢れた動物的な力強さが感じられた。
夜露を含む草で足元が濡れていく。



立ち止まった彼に、振り向きざまに抱きしめられる。
私の身長は低く彼の肩よりも下だから、胸に埋もれた顔をよいしょと上に向けると「・・・キス?」と聞いてくる。
ああ、そういう単語は知っているのね?


ツアーメンバーが持参していた『指さし会話帳』という、本に書かれた言葉を指さすだけで会話してみようという旅の便利帳を物珍しげにのぞき込んでいたモンゴル人たちは皆、恋愛のページを見ていたようだし、モンゴルの若い子たちは男女問わず恋愛関連の話題に興味津々なのだ。
女性の通訳さんに至っては「妊娠のことをおめでたって言うんですか?」ーて、そこかよ?! というところまで見ていた。




「ノー」




少しの沈黙の後、身体を離されたと思ったらくるりと裏返されて今度は後ろから抱きすくめられるかたちになった。
背中越しに伝わってくる体温は暖かかったけれど、7月とはいえ真夜中のモンゴルの草原は冷え込む。 
彼がいくら保温性に優れた伝統服のデールに着替えていても、肩はきっと冷えているだろう。
身体が小刻みにふるえていることまで伝わってきた。


肩の向こうから伝わってくる煙草のにおいと、草原のにおい、震えている彼の身体の感覚というトリプル攻撃に(ついでに満天の星空という最強のシチュエーション!)思考回路はショート寸前だったのである。
いかんいかん! 武者修行ツアーとは言えども修行の趣旨が違ってきている!
心臓が背中に移動しましたというくらいにどきどきしてきちゃっているけど、ここはとどまれ!
背後から感じる大胸筋・三角筋・上腕二等筋の、日本人にはない厚みと圧力は蠱惑的であるな、などとゆっくり1秒程思考を巡らせ、私を抱く彼の手の甲に自分の手を重ねて改めて伝える。




「ノー」




とても残念そうな雰囲気を醸し出す彼を残して、後ろを振り返らずにずんずんとゲルに戻ったが、遊牧民の足は速い。 
私よりも早く、あっという間にゲルのドアの前に着いている。


「中に入れて?」


すごいな。 
視線と首の傾げ具合だけで言いたいことがテレパシーみたいに伝わってくる。


でも、中では他のメンバーが寝てるの。 
ごめんね、あなたを中には入れられない。


「ノー」

「どうしても?」

「ノー」

「・・・そうか」




何度かのやりとりの後、肩を落としてキャンプの外へ消えていく彼の後ろ姿が見えなくなるまで見送りながら、ここ数日の自分の気持ちの揺れ具合についてふと思い当たった。



中学生みたいーもっと具体的に言うなれば、中学二年生だ。
受験までまだ間があって、誰と誰が付き合ってるってよ、なんていう噂話に日々浮き立ちながら、いつか自分にもそういう人ができるはずと夢見ていたあの頃。
気になる子と目が合っただけで、いや、その子の背中を目で追うだけで満足だったあの気持ちと同じ類のもの。
初めて訪れるのにどこか懐かしい気持ちを呼び起こしてくれるモンゴルという国は、毎日わせわせと用事をこなして生きる毎日からぴゅっと、20年の時を越えたところにいる「あの頃」の気持ちにも再会させてくれた。


それにしても、またゲルを出て行って彼と顔を合わせてしまったら気まずい。 
ゲルの中に戻った私は、今しがた起こった出来事に高揚しつつも、星空に未練を残しつつベッドに潜り込んだのであった。





キャンプ地で過ごした最終日。
別れ際、他のモンゴル人とはふざけてハグができたが、彼とはできなかった。
彼の方も求めてはこなかった。



たくさんの時間を共にして、笑って、言葉を交わして、という人はもちろん記憶に残るだろう。
一方、交わした言葉は時間にしたらほんの数十分だけだったとしても、少なかったが故に思い出として残る人もいる。
そういう時は身体がその人を記憶していることが多い。
“彼”の場合なら視線の強さと、手と身体の圧力。
この先、彼の顔を忘れてしまうことはあるかもしれないが、私の背中は彼の身体の厚みとあたたかさをきっと覚えていると思う。




私はそういう記憶の方が好きかもしれない。








パーリーナイトのようす。

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