小さな旅人の、小さなミッション

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※以前、noteに掲載していた文章を転載しました※


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世界一周なんて、普通はできないよね

「世界を一周して人生が変わった!」
「100万円あれば世界一周できる!」
「夢みる時間があれば、一度行ってみた方がいい!」


キラキラした旅人本、世界一周ガイドブックに踊るこんなウルトラポジティブワードを見ても「そんなことができるのって、やっぱりちょっと特別な人だよね」と思っちゃう。
サラリーマンだったらなおさらに。


世界一周、短期間で訪れる国を限れば約半月間で実行できるらしい。
それでも、「半月間でもそれは無理」と決めつけてしまうのがほとんだと思う。
私も、もちろんそう思うタイプだった。


「だった」と過去形にしているけれど、私も世界一周なんてしたことはない。
ただ、2015年の秋、土日を除いて8日間、会社を休んでチベットへツアー旅行に出た経験はある。

普通に働いている会社員でも、普段よりちょっとだけ多めに休暇を取ることで、世界一周とまではいかないまでも、チベット旅行という非日常体験をすることは可能だった。

そこに至るまでと、そこで感じたことなんかを、これから書いていくつもりだ。


死んだ魚の目をしたサラリーマンがめざした場所

当時の私は定時で帰宅はできるものの、通勤時間は往復3時間強。
昼休みになれば休憩室で仕事の愚痴、休日に仲のよい同僚と飲みに行っても会社の愚痴、転職活動をするも書類審査落ちの日々で漠然とした不満ばかりが募る不毛な毎日を送っていた。
同僚からの嫌がらせによりメンタル的にへこたれて、一時期心療内科に通ったこともあった。


こんな事をしているならどこかに行きたいよー

ずっと行ってみたかった国ってどこだろう?
そこで思いついたのがチベットだった。


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この時、私が選んだのは大手旅行会社が主催している、チベット12日間の旅というツアー。

「チベットに行くなんて、きっと一生にいちどだから」

中国・西寧から青蔵鉄道で首都ラサへ入り、シガツェやギャンツェといった第二の都市を回り、さらに8,000m五座(チョモランマ、ローツェ、マカルー、チョー・オユー、シシャパンマ)を展望するという欲張りな旅程。

会社の夏季休暇をシルバーウィークと併せて取得できる9月出発のコースに申し込んだものの、チベットの国政事情でツアーは延期。
翌10月に日程変更をしての出発だった。



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参考までに記しておくと、一般的に休暇の取りやすい年末年始の時期にもツアーは設定されている。
ただし、日数が少ないためポタラ宮のあるラサ周辺にしか行かない。
(チベットはラサの標高で既に富士山よりも高い。環境に順応するために1日~2日はラサで過ごしたあと他の地域に移動というツアーが一般的なので、1週間程度の期間だと行ける地域が限られる)


なぜ、チベットだったのかー


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私とチベットの出会いは1993年。
NHKスペシャルで放送された『チベット死者の書』という特別番組だった。
繰り返し出てきた「バルド・トドゥル」(Bardo Thodol)という言葉の響きがずっと記憶に残っていた。

チベット語の“バルド”は中間の状態を表し、“トドゥル”は耳で聞いて解脱するというような意味。
死は終わりではなく一つのプロセスにすぎないという考え方だそうだ。
ちょうど中学2年生前後という年頃だった私はそんなスピリチュアルなイメージに惹かれていたのだと思う。


それから後にブラッド・ピット主演の映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』、ダライ・ラマの甥のご息子が主演の『クンドゥン』を観たことによって、現在もなお続いている政治的な問題や、厳しくも美しい自然環境にも興味が沸いていった。

でも、いちばん心惹かれたのは「神秘の国」というイメージだった。



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私が考える「旅」

ツアー参加者は10余名。
私以外は50歳代以上。
最高齢者はなんと81歳!
標高5000m以上の土地で観光なんて、年齢がいったら体力的にしんどいから今のうちに行かねば、と考えていた私は素直にびっくりしていた。
そんな先輩方は、旅をするために健康に気を遣うのはもちろんのこと、金銭面、配偶者との折り合い、子どもの有無、親の介護、仕事・・・これらと折り合いをつけて日々やりくりをして若いころから旅に出ることを生きがいにしていたのだそう。


旅に出てみたいという想いを諦めてしまう理由っていとも簡単に生まれるし、なんなら旅に出る理由を見つける方が大きな一歩を踏み出す必要があることなのかもしれない。


ただ、もし、どこか憧れの場所があるならば「いつか」よりも、期限を決めて実行に移したほうがいい。


「夢の平均賞味期限は0.2秒」


こんな言葉を聞いたことがある。


「○○してみたいな~」
「✕✕に行ってみたいな~」

そう思った次の瞬間に

「でも、今はお金が足りないな」
「そんなに仕事休めないしな」

と、無意識にリミッターを設定して、やりたいと思ったその気持ちを無かったことにしてしまっているのだそうだ。




ちょっとひと息、思いを巡らせよう。
要は、旅をするために、どう根回しして、段取りをしておくかってことだよね。


お金が無いと思っているなら、毎日のようにカフェやコンビニで使うお金をちょっとカット。
まずはそこから資金のやり繰りができるよ。
会社の仕事も、大抵は、誰かが替わりでできるでどうにかこうにか、何なりと回っていく。
“お互いさま”の心が持てるかどうかだよね。

もちろん、人それぞれの尺度で、旅よりも重きを置かなければならないこと、逃げられないこともある。
1週間、2週間連続の旅なんて無理なことの方が多い。



それでも、1日。
半日だけでも。


どこかに出て、
違う気分に浸ることができるのであれば、
それが旅。
旅のあとはちょっとだけ、生きやすくなるんじゃないかなー



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一所懸命働いたアリさんは絶対に報われるのか?
テキトーに楽しく過ごしていたキリギリスさんは将来やっぱり困った目に合ってしまうのか?
真面目なアリさんの方がカラダを酷使したのがたたって病気になっちゃうかもしれないし、両者含めて天災に合うかもしれない。
それは自分にも他人にもわからないよ。

私が考える旅は、移動距離・期間の長短でも、訪れた国の数の多少でもなくて、たとえ半日でも、日常からちょっと離脱できる―そんな感じのものだ。

特に今年(2019年)からは有給休暇取得が義務化されたよね。
これまで旅を諦めていた人にとっては、これだけでもチャンスができたんじゃないかな。



さて、実際に足を踏み入れたチベットはー
私の中で20年近く「神秘の国」だったチベットの風景。
実際に目の当たりにしてどうだったのかと言えば。


ラサ駅前は、舗装された広大な道路、デパートや飲食店その他商店が軒を連ね、自動車やバイクがブンブン走るアジアの街中そのものだった。
都心部においては神秘、という言葉にはちょっと距離のあるようすだった。



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それでも、ポタラ宮の窓からラサの街を一望した時には自然と涙が頬を伝っていた。



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人は、深い縁のある場所に辿り着くと涙を流すと、どこかで聞いたことがある。



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かと言って、私が前世、前前世、前前前世でチベットで暮らしていたかはわからない。
わからないけれど、輪廻転生を繰り返す中で、もしかしたらどこかでチベットの地を踏んだこともあったのかもしれないと想像する方がロマンがあるな。



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そんなロマン溢れたポタラ宮の中ではお坊さんがスマホを使っているのを見た。
そういえば以前、日本国内で開催されていたチベット仏教関連のイベントで見たオレンジと黄色の袈裟をかけたお坊さんは、ゴツい一眼レフでガシガシ記録用写真を撮影していたっけ。


ついでに言うなら、公共トイレを使用する際はチップは必要だったし、観光地にいるヤクを写真撮影する時も撮影料金が必要だったり、完全なる貨幣社会だったのも想像していたチベットとちょっと違った。
あとは、景勝地に「ここから先に行くなら料金を支払って」と書いてある紙を掲げたおばちゃんが座っていたりもした。



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神秘の国とかイメージしていてもそんなのは所詮、自分勝手なイメージでしかないんだよ!(笑)


私がチベットを訪れてから早4年の年月が経つ。
街のようすは変わり続けていることだろう。
このツアー当時も同行メンバーが「何十年か前に来た時からすっかりようすが変わった。ラサ駅前には茶色い土地しか無かったのに」と言っていたのだから。



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私が持てるのは訪れたその時の記憶と記録しかない。
自分が見て感じたそれらを発信することは、旅人にとっての小さなミッションではないだろうか。



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I feel...


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チョモランマベースキャンプではウルグアイから、ロシア、モンゴル、チベットその他の国を1ヶ月かけて回るという一行に出会った。
記念撮影に勤しむ私たち日本人の横で、彼らはそれぞれのペースで山の空気を楽しんでいた。
海外の人はこういう旅の時には、ただ自然を感じたり、山を見ながらヨガをしたり“Feeling”を楽しむ傾向にあるという。
そういう感覚は素敵だなと思った。



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寺院を見学中、英語で話しかけてきてくださったお坊さんもいた。
私はチベット語が全くわからないので、それだけでもちょっとしたやりとりができたようで嬉しかった。



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2014年に公開されたドキュメンタリー映画『ダライ・ラマ14世』の中でダライ・ラマ法王が日本人へ向けて「国際語である英語を勉強してもっと海外に出て世界を見るべきです」と言っていたが、それをほんの少しだけ体験した気持ちになれた。
たとえカタコトの英語だとしても、挨拶だけしか交わせなかったとしても、英語という共通の言葉を持てているかいないか、これはこれからもっと大きな意味を持つことになる。
(現在、映画は動画サイトやFacebookで予告編のみ視聴ができるみたい)


私のチベットの記憶の中では自然の美しさ、厳しさ(高地での滞在で消化機能が不調になった)を見て体験した以外では、外国人の“Feeling”嗜好と、英語に触れたシーンがより鮮やかに記憶に残っている。




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この旅以降

10日間だけとは言えど、標高5000m超という日本とはかけ離れた国に飛んで行ったことで「海外に行くことって、思ってたよりも難しくないんだ!」と気持ちがいっきに軽くなった。

それならば、近場の国にどんどん行ってその国の空気を直に感じたいと考えるようになり、台湾、韓国へひとり旅をするようになった。
(実はチベットツアーの前年、モンゴルにも行っていたのだけれどね)




これまでチベット旅行の話をしてきたのに、現在いちばんハマっているのは韓国旅行だ。
そして、チベットに行って「英語を勉強した方がいいんだよなあ」と考えていたのに、2年前からは韓国語の勉強を独学ながら始めている。
まったくの予定外のことになっているけれど、これも元を辿れば、チベットへの旅で感じた気持ちに端を発しているんだよ。


私は京都に住んでいるから、以前と比べても駅や観光地近所で道を聞かれたり、写真を撮ってくれと声をかけられることが増えている。
そんな時に英語やアジア圏の言葉でさっと対応できたらスマートだよね。
日本を訪れる海外の方がみんな日本語を勉強してくるわけではないもの。


だから、私も、旅をするなら少しでもその国の言葉を学んでから現地に入りたいと考えるようになったし、勉強を始めた。
日本人が多く訪れる観光地であれば日本語で対応してくれるけれど、そうでなかったら基本、海外で日本語は通じない。
旅をより楽しむため、現地の人たちの考え方を知るため、現地での危険を回避するため・・・言葉にも目を向けるようになったことがいちばん大きな変化かもしれない。


最近は海外文通ができるアプリで実際にメールのやり取りをして、「秋には是非韓国で会いましょう」と言ってくれる人もできた。
誰も知らない国へ行く旅ではなく、誰かに会いに行く旅!
なんて、どきどきする旅だろう!
もちろん、その逆で私がホスト役もしてみたい。




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前々から書いていた旅行ブログには最近、韓国語で京都のカフェ等を紹介するカテゴリを増やした。
海外に向かって情報を発信しようなんて、ブログを始めた頃にはまるで考えになかったのに、そんな思いが自然と膨らんできたことにも自分が驚いている。


小さな勇気を出して飛んだチベットから、言語学習への気づき、現在はペンパルに会う楽しみと海外への情報発信に向かって学習中―と私自身の中でも小さな旅が始まっていることについて長々と書いた。


その時は特に感じることが無くても、ずっと時間が経ってから自分の中で化学反応を起こすんだなって、いま改めて感じてる!



旅って、その先に何が待っているかわからないから、みんなどこかに向かいたくなるものなんじゃないかな。





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