感想 朝鮮半島に伝わる民話をモチーフにした特撮映画『プルガサリ 伝説の大怪獣』

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「うわ~ん! ほんまに落ちた~!」
1K5畳半のひとり暮らしの部屋の中、缶ビールを片手に私は思わず声をあげていた。
壁の薄い部屋である。
もしかしたら隣の部屋にもうっすら聞こえていたかもしれない。


「こんな幼稚な作戦にまんまとひっかかるなんて、面白おかしすぎる!」


パソコン画面から目を離せないままビールをひと口あおり、ムムムと唸ってしまう。
シーンは貧しい村人の味方・伝説の大怪獣プルガサリが、朝廷軍の罠にはまり巨大な落とし穴に落下、生き埋めにされようとしているところだ。
タイトルを信じるならば「伝説の大怪獣」が、である。
人間が作った落とし穴に落とされ、さらに生き埋めにされてしまうというのである。
何という荒唐無稽な展開なんだろう。


B級映画であろうことは先にあらすじを読んでわかっていたものの、想像の斜め上をいっていた。
最近の私の趣味は映画を観ることなのだが、この日観ていたのは『プルガサリ 伝説の大怪獣』。
この映画のあらすじをざっくりと紹介しよう。

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モチーフは朝鮮半島に伝わる民話。
鉄を食べて巨大化する不死身の怪物「プルガサリ」が、高麗王朝への一揆集団(圧政に苦しむ民)を助け、さらには王をやっつけてくれるというファンタジー革命劇である。
韓国語で手のつけられない乱暴者のことを指す慣用句に「松都末年のプルガサリ」というものがあるらしい。
松都(ソンド)は高麗時代の首都のことで、「プルガサリ」はプルガ(不可)サリ(殺伊)
すなわち殺そうと思っても殺せないという意味。
そんな名前がつけられている怪獣なので豊富な武器を持つ朝廷軍もまったく歯が立たず、最後は一揆軍が勝利を勝ち取る。

さて、この映画が制作されたのは1985年。 今から34年も昔だ。
当然、映像も音楽も古臭い。 勧善懲悪のストーリーも至極単純。
時代劇なので衣装は良いとしても、老若男女アイラインがっつりのメイクは、もはや劇画というかギャグの域に入っている。
それなのに、思わず声をあげるほど前のめりで観てしまったのはなぜか?



鑑賞しながらこんな考えがよぎった。


「これって・・・・・・『シン・ゴジラ』みたいじゃない?」


『シン・ゴジラ』は言わずもがな、2016年公開の邦画である。
庵野秀明が総監督・脚本、樋口真嗣が監督・特技監督という、『プルガサリ』とは段違いの紛れもない大作に共通するものを感じてしまったのはどういうわけか?
『シン・ゴジラ』が公開されて間もなく、全国各地で一斉に開催されたイベントを覚えているだろうか。


・・・・・・発声可能・応援上映会。
スクリーンに向かって「総理、ご決断を!」とみんなで叫んだというアレ。
ゴジラに血液凝固剤の経口投与を始めたところでイッキコールが飛び出したというアレ。
石原さとみ演じるカヨコ・パターソンの「ZARAはどこ?」に対して映画館最寄りのZARA店舗の場所を教えてあげる、あの応援上映会だ。


https://www.youtube.com/watch?time_continue=116&v=t1LNLf2JGLc&feature=emb_logoより)



プルガサリが村の民と共にノシノシと歩みを進めれば「がんばれー」と声をかけ、落とし穴に落ちれば民と一緒に悲鳴をあげ、民を苦しめていた王を倒せば歓声をあげ・・・・・・映像やストーリーにおいて明らかなレベルの違いはあれど私は初めて『シン・ゴジラ』を観た時と似たような高揚感を感じていた。


そう思うと、他にもいくつかの共通項を(半ば無理矢理)あげることができる。


シン・ゴジラは第1形態から第5形態まで変貌を遂げた。
プルガサリも変態する。
画面に向かって「かわいい~!」「こっちおいで~!」を連発せざるを得ない程の愛嬌をふりまく第1形態(スタッフ間の通称はチビガサリらしい)。
成人男性くらいに成長し、ヒロインに「この子、賢いのよ~」と同伴されてくる姿に即座に「彼氏か!」とツッコんだ第2形態。
食欲のままに鉄を食べ続け体長30メートルを越した第3形態。
成長したプルガサリは鎧をまとったゴジラのようで親しみが持てた。


また、村の民衆や朝廷軍の兵のシーンでのエキストラの数も圧巻。
加えて、子どもの頃テレビで再放送されていた映画『大魔神』を思い起こさせる、チープとしか言いようのない特撮映像はなんとなく馴染みのあるものとして目に映るし、2019年の今、この映画を観る日本人にとっては、逆にとっても新鮮に感じられるのではないだろうか。


https://www.youtube.com/watch?v=pKnzdc4_gb4&t=542sより)



つい今しがた“日本人にとっては”と言ったのは、実はこの映画の制作国は日本ではなく、朝鮮民主主義人民共和国だからだ。

映画マニアだったという金正日に日本から招聘された東宝撮影所の精鋭スタッフが予算使い放題で、特撮パートを撮影。 
さらに、プルガサリの着ぐるみの中に入ったのは、ゴジラも演じたスーツアクター・薩摩剣八郎というのだから、そりゃ日本の特撮テイストそのままのはずだ。
映画は無事完成したものの“政治的理由から世界配給されず”長らく陽の目をみられずにいた。
やがて海賊版が出回り始め、日本で公開されたのは制作から13年後の1998年。
逆輸入というか、何というか。
こんなトリビアを知ると、また新たな驚きをもって画面に見入ってしまうよね!


暴れ者ではあるけれど朝鮮半島の古い文献では神聖な生き物としても語られてきたというプルガサリ。
映画のラストでは、生命はまだ続いていくかのように、静かに消えて行ったのが印象的だった。



いつ、どの時代でも何だかわからないモノは、どこからともなくやってきて、ある時はもてはやされ、ある時は恐怖され、いつしか忘れ去られていく―
しかし、時代が巡れば再び現れ、私たちに新たな衝撃を与えていく。
それはまるで、出合い頭の事故のように。
この映画には見事に“当てられて”しまったなあ。


それにしても、一般的にはあまり知られていないこの映画、映画好きや怪獣好きには楽しめる部分がかなり多いんじゃないかと思うんだよなぁ。
TSUTAYA宅配サービスを利用するかamazonでDVDを購入するかのどちらかでしか視聴できないのがちょっともったいない気がする。