『반도(邦題:新感染半島)』ヨン・サンホ監督ノーカットインタビュー 後編

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インタビューのつづきです。
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廃墟の地“半島”そこを作った者ーヨン・サンホ監督

廃墟の地、半島。
4年前かろうじて半島を脱出したジョンソクは家族も、人生に対する意志も希望も全てをなくした。
全てをなくしたジョンソクは全てが消えた土地“半島”に戻ってくることになった。

ジョンソクを導いたことはひょっとすると、4年前のあの日のせいかもしれない。
誰かの助けてくれと言う叫びを、危機の瞬間に家族を残す他なかったその瞬間は、ジョンソクから全てを奪い取った。
その時のトラウマあるいは負い目によって半島にやってきた。

そして廃墟で生き残ったミンジョンとジュニ、ユジン、キム老人と出会う。
ゾンビだけでなく、人間性を喪失したまま獣のように変わった“631部隊”から生き残った生存者だ。
ミンジョン家族はジョンソクに「半島を抜け出せるかもしれない」という糸筋のような希望を見た。

ジョンソクも彼らを通じ、4年前に合理性という名で手放してしまった「希望」を再び自分の中に収める。
すべてが消えた地でだ。
もしかすると、ヨン·サンホ監督は、彼らを通じて「崩壊した世の中に残った小さな希望と人間たちの連帯」を描きたかったのかも知れない。



『半島』という映画のタイトルが持つ治政学的、政治的意志はとても興味深い。
映画の中で半島は、世界が捨てた土地になる。
感染を憂慮し半島の難民たちを受け入れないようにしたので孤立された状況に置かれている。
事実、海に囲まれた3面を除くならば大陸へ出られる道は明らかに存在する。
しかし、半島の外へは行くことができなかった。
海に劣らぬ広くて深い障壁が立っているからだ。



『半島』というタイトルがよかったことは、ひとつは開かれているが塞がれています。
塞がっているけれど、そこが事実、少し壁のような感じがします。
そんな側面で曖昧模糊になるほかない面が存在します。
企画段階でありとあらゆる話が出ました。
生存者たちが休戦線に行くか等話しました。
半島という背景から出すことができる話は本当に多いようです。



地理的・政治的な障壁に押しつけられて閉じこめられた半島は結局、人間が生き残ることができない極限の空間に変わる。
このように『半島』は『釜山行』のKTXという限定された空間を越えて半島という開かれた広大な空間に戻ってきて滅亡後の世界を描いた。

ヨン監督はゾンビ映画とポストアポカリプス映画が好きだ。
『半島』にはヨン監督が好きなジャンルがすべて盛り込まれている。
『半島』は『釜山行』後4年、廃墟になった土地に残された者たちが繰り広げる最後の戦いを描くアクションブロックバスター。
ポストアポカリプスを描いている。


ゾンビ物を見れば大きくふたつあるようだ

『バイオハザード』のようにゾンビをクリーチャー化したり、あるいは『ウォーキングデッド』シリーズ後半みたいに悪に変化する人々を中心に話を展開するのです。
『半島』の中の631部隊員たちは一種の“変種のゾンビ”となるでしょう。
特別な目標や希望がなく、瞬間的な刺激だけに従います。
代表的な人物がファン中佐です。
一種の快楽という刺激を盲目的に追いかけていく狩犬のような631部隊員の姿はゾンビと違うことはありません。


631部隊の野蛮な姿がいちばん極大化された場面のひとつが、まさに“かくれんぼ”シーンだ。
野良犬と呼ばれる生存者たちをゾンビたちと同じ空間に閉じこめる、いわゆる“生存ゲーム”だ。
生きるため、かみちぎるため追い追われることはゾンビと人間の間の熾烈な生存の現実の縮小版とも言える。

殺さなければ殺される人生の真ん中にあった631部隊が今は希望と人間性をなくし、もうひとりの生存者を死の生存ゲームの中に追い込む。



様々なことに悩んだが人間を弄び、ペテンする集団を描いてみたらどうかという考えで、かくれんぼシーンを作りました。
観客がかくれんぼ競技場の中に入るその状況を一人称で感じられればばいいと思って。
それで、武術監督とカットを切らずいっきに行けるアクション導線を組み立てました。
2日間撮りました。
本当に大変でした。


廃墟の土地を開いていくのは“普通”の人たちだ

ポストアポカリプス映画が語る地点の中のひとつは、人類が見逃してはならない普遍性だ。
時代をもっとも極端に表現し、現実と人間を批判する地点が存在する。
『半島』もやはりポストアポカリプス映画として普遍の価値をなくさない。


いろんな作業をし感じたことは、映画がとても大変だということでした。
ドラマは企画して最終的に視聴者と出会う期間が短い方だ。
映画は少なくとも2年、もっと長い場合もある。
2年後の観客の好みはどんなものか悩むようになる。
そうしてみると映画というものについて悩むときもっと普遍的な、10年ではなく100年が過ぎても大きく変わらない普遍性を追求するほかないんです。



『半島』に似た部類のゾンビ物やポストアポカリプス物を見ると、主人公に難局を打開する知識や能力等を与えたり、重要な人物に設定する『半島』のジョンソクは軍人出身だが普通の人間だと言える。
ヨン監督は「いちど主人公自身が脱出後、どうなったかわからない半島に戻ってくる設定だ。観客が主人公にように半島に入る感じが重要だった」とし「ジョンソクは一種の案内者であり観客だ。そんなポジションになった」と言った。

ジョンソクと半島を脱出しようとするミンジョン、ジュニ、ユジン、キム老人もーやはり普通の人間だ。
その上、女性、子ども、老人等弱者たちの連帯だ。
結局普通の人々が出会い、廃墟の土地を乗り越えることになる。
これらの連帯と結末は普遍的な価値をめざす。
映画が伝えようとする価値は、劇場をあとにして現実と向き合うようになる観客たちに私たちが足を踏みしめて立つところを“半島”の視線で振り返させるように作った。


~~~はっきりネタバレだったので中略~~~



若い世代の人たちが現実の大韓民国を「헬조선(Hell朝鮮)」と表現することが流行した時期があった。
それだけ現実が地獄のようであることを表す単語だ。
このような現実に比較すると、キム老人の台詞はこれまでの世代が現世代の人たちに伝える申し訳なさみたいなものを感じられた。


私も既存世代だ。
これまでの世代が子どもたちに何をしちえあげられるかたくさん考えたが、してあげられることはなかったんです。
新しい世代には彼らが生き方があります。
ただ、私はそのように思います。
羞恥心を持たなければならないと言うことです。
恥ずかしさを持つことだけでもけっこうな既成世代かもしれないという考え方で、キム老人の台詞がうまくいったようです。






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